Life Force Energy_
氣と氣脈について
“氣“とは万物に宿る生命エネルギーであり、“氣脈“とは氣の流れる道のことです。
氣には強い、弱いや濃い、薄い等様々な質が存在します。この質は人間においてはその時々の感情や、体調等により大きく変化します。また多い、少ないといった量も存在します。この氣の質や量は鍛錬によって強く、濃くし、増やすことも可能となります。
氣は1番チャクラである会陰から体内に入り、氣脈を通って7番チャクラである百会から体外に放出されます。体外に放出された氣はまた1番チャクラに戻り、循環を繰り返します。体外に放出された氣がまた体へと戻る循環をトーラスと言います。体外に放出された氣(トーラス)は、周りの空間を漂うことにより様々な気配や情報をキャッチすることになります。これが人の勘となります。武術の達人が見えない敵の存在に気付くことができるのは、まとっている氣が大きいために、気配や情報をキャッチできる範囲が広いからなのです。
氣は補完の性質を持ち、足りない所に集まります。つまり怪我や病気をすれば、治そうとしてその箇所に集まる事になります。これは氣が生命エネルギーであるからです。氣の補完には慢性と急性があります。氣が慢性的に集まり留まれば、空気や水と同様に劣化し濁りが起こります。これにより氣は効力を失うことになります。これを氣滞と言います。免疫力を高め、怪我や病気を治す為には、この氣の滞り(氣滞)を解消し、新鮮な氣を流すことが必要となります。
氣の補完の性質は臓器や筋肉のみではなく、チャクラにも作用します。例えば、精神が弱く胆力が足りない人は2番チャクラに氣が集まります。また、抱えている問題が多い人の場合には、問題から解放されるためのアイデアを得ようとし、6番チャクラや7番チャクラに氣が集まることになります。
氣と氣脈について
“氣“とは万物に宿る生命エネルギーであり、“氣脈“とは氣の流れる道のことです。
氣には強い、弱いや濃い、薄い等様々な質が存在します。この質は人間においてはその時々の感情や、体調等により大きく変化します。また多い、少ないといった量も存在します。この氣の質や量は鍛錬によって強く、濃くし、増やすことも可能となります。
氣は1番チャクラである会陰から体内に入り、氣脈を通って7番チャクラである百会から体外に放出されます。体外に放出された氣はまた1番チャクラに戻り、循環を繰り返します。体外に放出された氣がまた体へと戻る循環をトーラスと言います。体外に放出された氣(トーラス)は、周りの空間を漂うことにより様々な気配や情報をキャッチすることになります。これが人の勘となります。武術の達人が見えない敵の存在に気付くことができるのは、まとっている氣が大きいために、気配や情報をキャッチできる範囲が広いからなのです。
氣は補完の性質を持ち、足りない所に集まります。つまり怪我や病気をすれば、治そうとしてその箇所に集まる事になります。これは氣が生命エネルギーであるからです。
氣の補完には慢性と急性があります。氣が慢性的に集まり留まれば、空気や水と同様に劣化し濁りが起こります。これにより氣は効力を失うことになります。これを氣滞と言います。免疫力を高め、怪我や病気を治す為には、この氣の滞り(氣滞)を解消し、新鮮な氣を流すことが必要となります。
氣の補完の性質は臓器や筋肉のみではなく、チャクラにも作用します。例えば、精神が弱く胆力が足りない人は2番チャクラに氣が集まります。また、抱えている問題が多い人の場合には、問題から解放されるためのアイデアを得ようとし、6番チャクラや7番チャクラに氣が集まることになります。
任脈と督脈
氣脈には代表される二つの大きな脈があります。それが“任脈“と“督脈“です。
任脈は体の前面を通る氣脈であり、督脈は体の背面を通る氣脈です。この二つの脈は体を正中線上にグルっと一周する形で繋がり、存在しています。この2つの氣脈における氣の流れは、基本的には下から上に流れています。
これらの氣脈は鍛錬することで太く、強くし、強い氣の流れに耐えられるようにすることができます。
任脈と督脈
氣脈には代表される二つの大きな脈があります。それが“任脈“と“督脈“です。
任脈は体の前面を通る氣脈であり、督脈は体の背面を通る氣脈です。この二つの脈は体を正中線上にグルっと一周する形で繋がり、存在しています。この2つの氣脈における氣の流れは、基本的には下から上に流れています。
これらの氣脈は鍛錬することで太く、強くし、強い氣の流れに耐えられるようにすることができます。
氣脈の詰まり
通常の場合、成人は氣脈が詰まっている状態にあります。これは自我(エゴ)の芽生えによるもので、まだ自我の無い幼児には氣脈の詰まりというものがほとんどありません。つまり自我(エゴ)が氣脈の詰まりを生んでいるのです。
氣脈の詰まりを作ることは、善悪混同の社会の中で生きていく為の手段であり、冷めた大人の感情を作ることでもあります。それによって長時間に及ぶ苦痛を伴う労働に対応しようとするのです。
この氣脈のつまりは中年から初老にかけて増え続け、人は頑固さを増していきます。しかしこの頑固さも一つの処世術なのです。その後、更に年を重ねることで気力や体力が衰えることにより、これまでの頑固さを反省し、人は精神の浄化を行います。これにより再び氣脈の詰まりが取り除かれていくことになります。歳を重ねて丸くなるとはこの流れで起きることなのです。
つまり、人が真っ当に人生を歩むことは、修行をしていることと同義になるわけです。